裏1−6 攻防戦

「ぶ、無礼な! わたしは神様ですよ!」

 図星を突かれたメーナが、うろたえながらフェイを叱りつける。怒り慣れていないのが丸わかりで、迫力は全くない。

「あれぇ〜? ずいぶん取り乱してますねぇ〜? やっぱり偽者なんですかぁ〜?」

 気味の悪い笑みを浮かべて、メーナをゆさぶるフェイ。相手が神様ではないと確信しているようだ。

 なんでバレた? 特にミスはなかったはずだが。

「試してもいいですか。あなたが本当に神様なのか」

 いや、まだ疑っている段階だ。うまく立ち回れば、挽回の余地はある。

 がんばれメーナ。疲れてきたから、俺は手伝わないけど。

「神様を試すなんて不敬の極みですけどねぇ……まあよいでしょう。道に外れた者を正しく導くのも神の務めです。あなたの疑惑を払拭し、わたしが神様だと証明してみせましょう」

 アパートの前で対峙する、殉教者フェイと偽神メーナ。

 一方、本物の女神は少し離れた場所で事態を静観中。俺もリュミンに倣って、二人のやり取りをおとなしく見届けるとしよう。

 フェイが口火を切った。

「とりあえず、聖紙を暗唱してみてください。聖紙を書いたのは神様です。あなたが本当に神様なら、当然覚えているはずです」

 メーナの頬がゆるむ。

「なーんだそんなことですか。もちろん覚えてますよ。ではいきますね」

 俺はポケットに隠し持っていた紙を取り出し、メーナが全文を唱えるのにあわせて、聖紙の翻訳をこっそり読み直した。

◆ ◆ ◆ ◆

 この紙には神の言葉が書かれています。

 神は全知の存在です。神は矛盾しません。神は人と同じ姿をしていますが、人にはできないことを可能にする超自然的な力を持ちます。ただし、神は人に自身の能力を分け与えたりはしません。人が神の力を使うことは絶対にできないのです。

 人は二種類に分かれます。神の教えを広める賢い者と、広めない愚か者です。賢い者は常に賢く、愚か者は常に愚かです。賢さと愚かさが混じり合った人はいません。

 神の教えを広めた賢い者は、死後すぐに神の世界へと導かれます(神の教えを広めない愚か者は神の世界に入れません)。混沌の中にいるあなたの前に、二人の従者をたずさえた神が現れ、救いの手を差しのべます。世界が闇に包まれる前に、あなたは神を見いだすでしょう。その時、あなたの魂は神の世界に結びつけられるのです。

 ◆ ◆ ◆ ◆

「ほら、完璧に言えたでしょう! これが神の実力です!」

 すごい、一語たりとも間違ってない。メーナって、無駄に記憶力がいいよな。

「なかなかやりますね。じゃあ次は、全知の能力について検証します。わたしが処刑された湖の名前を答えてください」

 たしか打ち合わせの時に、リュミンが名前を言ってたような……何だったかなあ。

「ふっ、わたしも舐められたものですね。あなたが沈められたのは、肉食魚が生息する猛毒の湖……その名も『ホテン湖』です!」

 それだ! すっかり忘れてた。

「へぇ、よく知ってるじゃないですか。ますます変ですね」

 フェイの唇がにやりと歪む。

「処刑人はどうやって、わたしを湖に落としたんですか?」

「どうやって?」

 不思議そうな顔でメーナが問い返す。フェイの発言の意図がわからず、俺も困惑していた。処刑の方法がどうして重要なんだ?

「どうやって落とすって……普通に船で運んで、ぽいって落とせばよくないですか」

「わたしは湖の中央に沈められたんですよ。ホテン湖は毒の霧に覆われているので、船ではそこまで辿り着けません」

「うーん、超能力で人を浮かせたとか?」

「聖紙には『人が神の力を使うことは絶対にできないのです』という記述があります。超能力者なんかこの世にはいません」

「おかしいなぁ……全力で放り投げても湖の真ん中に届くわけないし……猛毒の水の中を泳ぐのなんて論外だし……仮に毒をどうにかできても肉食魚が住んでるし……」

 メーナを見るフェイの眼差しがどんどん冷たくなっていく。

「どうやらわからないみたいですね。正解は『気球』です。処刑人はわたしを気球にのせて運び、湖上空から水面に突き落としたんです。ホテン湖の霧と水と魚を突破する方法は、これしかありません」

 後ろめたそうに、メーナは顔をそむけた。

「……ええ、あなたの言う通りです」

「ごまかせませんよ。さっき飛行船を見たとき、わたしが驚いたのは見慣れない形の乗り物が空を飛んでいたからです。なのにあなたは『なんと神の世界では、人は空を飛べるのです!』と言って、気球の解説をしていました。わたしがいた世界に気球があると知っていたなら、ありえない言動です。つまり、あなたは全知ではない。聖紙の一文『神は全知の存在です』と矛盾するので、あなたは神様ではありません」

 説明されてようやく納得がいった。これは痛恨のミスだ。しかも回避できたミスだ。

 フェイが指摘したように、ホテン湖の中央に人を沈めるには空を飛ぶしかない。その手段が気球だと特定できなくても、空を飛ぶ技術が存在することは推測できた。

 処刑の内容を詳しく説明しなかったリュミンにも非はあるが、俺やメーナも注意深く考えれば気づけたはずだ。そうしていれば『人は空を飛べるのです』という致命的な失言は避けられた。

 素直に負けを認めるしかない。と、俺は思っていたのだが……。

「調査不足です!」

 斜め上の角度から、メーナが反論を開始した。

「そもそも全知とは、どんな情報でも調べられる能力のことです。よく誤解されますけど、あらゆる知識が神様の頭に詰まっているわけではないのです。おそらく調査の過程で、気球に関する情報がうっかり漏れてしまったのでしょう」

「なら、わたしが処刑のやり方を尋ねたとき、どうしてその場で調べなかったんですか?」

 もっともな疑問だ。メーナはどう返すつもりだろう。

「ちょ、調査には時間がかかるのです」

 なんだその雑な嘘は。

「たとえば、手元に百科事典があったとしても、目当ての言葉を探すのは大変じゃないですか。わたしは全知だけど調べるのが苦手なタイプの神様なのです。一つの情報につき、うーんそうですね、まあ五時間ぐらいはかかります。質問されても、すぐに答えられるとは限りません」

 矢継ぎ早に言葉を繰り出し、フェイに喋る隙を与えない。

「それに、あなたは大事なことを忘れています。わたしはあなたの名前や信仰を知っていたんですよ? 異世界の人のプロフィールを調べるなんて、全知の神様にしかできない離れ業です!」

「そんなの簡単ですよ。本物の神様に教えてもらえばいいんです」

「で、でも、『神は人に自身の能力を分け与えたりはしません』って聖紙に書いてますよ」

「『能力』でしょ。知識を分け与えないとは書いてません」

「いやあ、それはちょっと論理的に弱くないですか。聖紙に記された『能力』には、知識も含まれてるかもしれませんよ? 神様が人に知識を分け与えている証拠でもあれば、話は別ですが」

「ありますよ」

「……あるんだ」

「証拠は聖紙そのものです。聖紙は『この紙には神の言葉が書かれています』という文で始まります。そのあとに記されているのは、神様が知っている世界の真理です。神様は聖紙を使って、人に知識を分け与えています」

「緻密な立証ですねぇ……け、けどそれは、わたしが神様ではないという根拠にはなりませんよね。わたしはセグノラの知識をあなたにたくさん授けてますから」

「絶対神様じゃないでしょ。落ち着きがないし、口調もブレブレだし、うさんくさいし」

「あっ、人格攻撃は止めましょう……人格じゃなくて神格か……それはさておき、わたしは紛れもなく神様です。今ならまだ、謝れば赦してあげますよ。神様を疑うなんて、あなたは愚かな人間ですね」

「おやぁ〜、転生塔の前でわたしに『あなたは賢い人間です』って言いませんでしたっけ? 聖紙には『神は矛盾しません』と書いてますけど、これはどう説明するんですかぁ〜?」

 詰んだ。ピヌマ教の教義では、人は二種類に分かれる。『神の教えを広める賢い者』と『広めない愚か者』だ。メーナの発言は、明確に矛盾している。

「矛盾してません」

 しかし再びメーナの奇怪な反論。

「言葉を表面的に捉えれば、矛盾したように聞こえるでしょうね。ですが、わたしは矛盾していません。なぜなら、嘘をついたからです!」

 ……どういう意味?

「『あなたは賢い人間です』というフレーズを、わたしは真実のつもりで言いました。逆に『あなたは愚かな人間です』というフレーズは、嘘のつもりで言いました。
 『あなたは愚かな人間です』を否定すると『あなたは愚かな人間ではない』になりますよね? そして『あなたは愚かな人間ではない』は『あなたは賢い人間です』と言い換えられます。
 つまり『あなたは愚かな人間』と言っている時でも、わたしの本心は『あなたは賢い人間』だったのです! 発言だけを抜き出すと矛盾してますけど、わたしの認識には一貫性があります。主観的には矛盾していません。矛盾の解釈も人それぞれ……じゃなくて、神それぞれ!」

 よくもまあ変な言い訳を考えるもんだ。

「なるほどねぇ。たしかにその理屈だと、ギリギリ矛盾してませんね。ほぼ黒ですけど」

「黒じゃないものは全部白ですよ。そろそろ無益な争いはやめて、わたしを神様だと認めてくれません?」

「じゃあ、証拠を見せてください。聖紙によると、神様は『人にはできないことを可能にする超自然的な力』を持っています。それを披露してくれたら、すぐに信じますよ」

「塔の前で、あなたの魂をセグノラに結びつけましたよ!」

「手をかざしただけでしょ。神の力なんて感じませんでした」

「そ、それは……あなたが痛くないように、わたしが配慮したんです。お医者さんが手術の時に麻酔をかけるようなイメージで」

「……何ですかそれ?」

「ガラサーンに麻酔はなかったのか……異文化コミュニケーションって面倒だなぁ……と、とにかく、わたしは神様です。それを否定することは論理的に不可能だと、あなたは気づいているのですか!?」

 尋常ではない早口で、メーナがたたみかける。

「聖紙に書かれた神の特徴は三つ! 『神は全知の存在です』『神は矛盾しません』『神は人と同じ姿をしていますが、人にはできないことを可能にする超自然的な力を持ちます』——このうち『全知』については、調査不足と言えばどうにでもなります。『矛盾』についても、さっきの『嘘ついた理論』でいくらでも修正できます。
 残るは『超自然的な力』についてですが、これも『神様だけど神の力を使ってないだけ』とでも言い張れば、なんとか耐えられます。神様が人間のふりをしている可能性は消せませんからね!
 まとめると! 神様ではないことの証明は無理! 証明できないなら、もうわたしが神様でいいじゃないですか。どうぞ、新居にお入りください」

 入室を促すメーナの誘導を聞き流し、フェイは小さく息を漏らした。

「どれだけ御託を並べられても、あなたを神様だとは思えません。わたしは愚か者なんでね」

「おっ、ついに認めましたね。そう、あなたは神を信じない愚か者です。あ、今のは嘘ですよ」

「こんな姑息な神様、いるわけないでしょう」

「ま、またしても神を批判しましたね。やはりあなたは愚か者です。あ、今のも嘘ですよ」

「……そういえば、転生塔の前で『生まれてから死ぬまであなたは常に賢かった』とも言ってましたね。あれも逆の意味で、言い直したらどうですか?」

「教えてくれるなんて気が利きますね〜。せっかくなので、やっておきましょうか。生まれてから死ぬまであなたは常に愚かだった。あ、今のは嘘ですよ」

「はい、完全に破綻した」

 体の前で、フェイは両手をパチンと合わせた。

「まんまと引っかかりましたね」

「えーと…………何か問題でも?」

「よく考えてみてください。『あなたは常に賢かった』と『あなたは常に愚かだった』。仮にどちらも真実を語っているとすると、二つの発言は矛盾します」

「ええ、わかってますよ。だから『あなたは常に愚かだった』って方が嘘で…………ん?」

 メーナの眉がぴくりと上がる。

「『常に愚かだった』の反対は……」

「気づきましたか? 『あなたは常に愚かだった』を否定すると『あなたは常に賢かった』ではなく『あなたは常に愚かだったわけではない』になります。これは部分否定なので、『あなたは常に賢かった』と矛盾します。もちろん『あなたは常に賢かった』の方を嘘だとしても、同じ理由で矛盾します」

「両方嘘です!」

 追い詰められたメーナが最終手段に出る。

「『あなたは常に賢かった』も嘘! 『あなたは常に愚かだった』も嘘! あなたは常に賢かったわけでも、常に愚かだったわけでもない! これがわたしの本心です。賢い時もあれば愚かな時もある、それが人間……はっ!」

 青ざめた表情で固まったメーナに、フェイは淡々ととどめを刺した。

「聖紙を引用します。『賢い者は常に賢く、愚か者は常に愚かです。賢さと愚かさが混じり合った人はいません』。これで全てのパターンで矛盾しましたね。さて、反論は?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、メーナは悪あがきを続けた。

「……嘘の否定が常に真実とは限らないわけで……『あなたは常に愚かだった』と言ってる時の本音が『あなたは常に賢かった』というパターンも、標準的な論理体系以外ならありえるかなあ、なんて……わたしの『嘘ついた理論』に一部嘘が含まれていた、みたいな……」

 フェイが足を前に踏み出し、メーナとの距離を詰めていく。

「いいかげん観念してください。あなた、ただの人間でしょう」

 後退するメーナ、前進するフェイ。追いかける俺とリュミン。

「吐いたら楽になれますよ。洗いざらい白状しましょうよ。あなたは人間です」

 さらに後退するメーナ、さらに前進するフェイ。さらに追いかける俺とリュミン。

「あなたは人間、あなたは人間、あなたは人間、あなたは人間……」

 やがて、メーナは反対側の建物まで追い詰められ、壁を背にして精気のない声を絞り出した。

「はい……わたしは神様のふりをした、ごく普通の人間です……」