「わたしの女神役もなじんできたし、もはや勝ったも同然だね」
住宅管理局にて。フェイが窓口で手続きを進めている間、俺たち三人は待合スペースの長椅子に座り、今後の流れを再確認していた。
そしてメーナは調子に乗っていた。
「正直、最大の難所は突破したと思うんだよね。あとは街で暮らすために必要な知識をフェイさんに伝えて、転生者用のアパートに行くだけ。フェイさんが部屋に入った時点で、わたしの正体がバレてなければ計画は成功。これはもう楽勝でしょ!」
「油断するな。さっきから周りにじろじろ見られてるんだ。余計な発言は控えろ」
待合スペースにいる来訪者たちの中で、俺たちは明らかに浮いていた。本物の女神と、異様な仮装をした女と、ごく普通の男が入り混じった謎のアンバランス集団だ。注目を浴びるに決まってる。
「でもさぁアルミス。わたしたちの目的はフェイさんを欺くことだよ? 他の人に変だと思われても別によくない?」
「悪目立ちして、フェイに勘づかれたら困るだろ。とにかく無言だ、無言。静かにしてくれ」
「アルミスは心配性だなぁ。フェイさんは素直な人だから、わたしを疑ったりしないよ〜」
お気楽な調子で断言し、メーナは反対側に座るリュミンに顔を寄せた。
「うまくいったら、わたしに神様の力をくれるんだよね??」
「うん、あげるよ」
「わたしは、ほぼ全能の存在になれるんだよね??」
「うん、なれるよ」
「ふふふ、勝利の女神がわたしにほほ笑むまで残りあとわずか……いやむしろ、わたし自身が勝利の女神なのかもしれない」
メーナが戯言を吐いた直後、番号札を手にしたフェイが受付から帰ってきた。
「申請終わりました! 部屋の鍵はすぐに貰えるみたいです」
慌ててメーナが役に戻る。
「フェイ、お疲れ様です。待っている間に、セグノラの社会の話でもしましょうか。どうぞ隣に来てください」
俺が横にずれて空いたところに、フェイが着座。ほどなくして、メーナが口を開いた。
「最初に大切なことを伝えておきます。セグノラには貨幣がありません。人々が互いに商品を無料で提供し合うことで、経済が回っています。ただし、お客さんに商品を渡すかどうかは店側の自由なので、信用や親密さが重要になります。無償で働いたり、色々な集まりに顔を出したりして、交友関係を積極的に築きましょう」
「その仕組み、新入りには厳しくないですか? 食料すら貰えず、餓死する恐れが……」
「その心配は無用です。ソアベイムには『平等食堂』と呼ばれる巨大料理店があって、どんな客に対しても無条件で料理を提供してくれます。この店に行けば食べるものには困りません」
「安心しました。最低限の生活は保障されてるんですね」
「ちなみに、貨幣だけではなく法律もありません」
「ええ!? じゃあ、人を殺したらどうなるんですか?」
「特に罰はないですよ。とはいえ、他人の信用を失いかねないので、殺人なんてめったに起きませんけどね。メリットよりデメリットの方が多ければ、人は暴力に走らないのです。そもそも法律とは、社会秩序を生み出す手段の一つに過ぎないわけで……」
「お待たせしました、フェイ・バネッサさーん」
メーナの無駄な講釈は局員の声で遮られた。わざわざこちらの待合スペースまで来てくれた局員に、フェイが番号札を差し出す。
「入居者のフェイさんですね。こちらが契約書と鍵、そしてアパートの場所を示した地図になります。必要最低限の家具は部屋に備え付けてあるので、即入居可能です。困ったことがあれば、いつでも連絡してください。
転生者が来るのは実に十日ぶりでして、我々としても喜ばしい限りです。新しい人生をめいっぱい満喫してください。では、よきセグノラライフを!」
フェイに一礼してから、局員はかしこまった仕草でリュミンの方に向き直った。
「こんにちは、女神様。ご来局いただき、心より感謝いたします」
人間役のリュミンは、当然のごとく挨拶を無視。代わりにメーナが片手を挙げて応じた。
「いえいえ大したことではありません。お仕事ご苦労さまです」
局員の顔が強張る。両目には警戒の色が宿っている。
「どうしました? わたしは女神メーナ。セグノラを統治する全知の神様ですよ」
恐怖に怯える局員は息を止めたまま後退し、逃げるように持ち場に戻った。幸い、フェイは地図を読んでいたので異常には気づかなかった。
用事が済んだ俺たちは、住宅管理局の外に出た。あたりはすでに暗くなり、太陽は沈みかけている。
ガス灯がともる大通りを、アパートに向けて歩き出す。俺やメーナにとっては見慣れた街並みもフェイには新鮮に映るようで、周囲の景色を眺めながら感嘆の声をあげた。
「ガス灯がこんなにたくさん! わたしがいた世界には数本しかなかったのに……」
「セグノラには様々な世界の技術が集まっていますからね。ガス灯の量産など、たやすいことです。この圧倒的な数の煌めきは、神の威光を示すシンボルなのです」
必要な情報だけ伝えればいいのに、メーナは余計なお喋りをやめない。
「技術革新も非常に活発で、新しい発明品が次々と生み出されています。例えば、蒸気機関と車輪で動く巨大な鉄の箱とか」
……蒸気機関車のことかな。
「す、すごいです。蒸気機関なら排水装置として使われてましたけど、そんな応用方法は初耳です!」
「まだまだありますよ。電話、電球、カメラ、映写機、蓄音機、ガソリン自動車——」
「知らない単語が次々と! 神の世界はなんて偉大なんでしょう!」
「ほほほ、もっと褒めてくれてもよいのですよ」
役に入り込んだメーナが文明自慢で気持ちよくなっているうちに、俺たちは目的のアパートに到着した。フェイが部屋に入れば、作戦終了だ。ふぅ、やっと帰れるな。
アパートの玄関前で、俺たちは初めて会った時と同じように、一対三で向き合った。
「女神様、アルミスさん、リュミンさん。今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ。転生者を迎え入れるのは、神として当然の責務です。新しい世界を存分に楽しんでくださいね」
俺も台本に従い、別れの言葉を告げる。
「フェイさん、あなたの未来に神の恵みがありますように」
うん、我ながらいい演技だ。完璧に役柄を全うできたな。満足。
リュミンも最後の挨拶を述べる。
「前世と違って、あなたには自由がある。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。自分なりの生き方を探してね。応援してるよ」
「はい、がんばります…………え?」
突然、フェイはぽかんと口を開けた。視線は俺たちの頭上を通り越して、背後にある何かに向けられている。
振り返ると、近くの空に巨大な飛行船が浮かんでいた。ソアベイムの街の上を、真っ白な船がゆっくりと突き進んでいく。
「神様、あの宙に浮いてる物体はなんですか?」
フェイの疑問に、メーナは即座に飛びついた。
「不思議に思うのも無理はありません。なんと神の世界では、人は空を飛べるのです!」
まだ喋るつもりか。俺はさっさと帰りたいんだが。
「驚いたでしょう? あれは飛行船といって、空気より軽いガスを大きな袋に詰めた乗り物です。舵がついているので、進行方向を自由に変えることもできます。飛行船が作られる前は気球という乗り物しかなくて、風まかせに飛ぶしかなかったのですが……」
延々と続くメーナの蘊蓄。早く終わりますようにと願いながら、俺はなんとなくフェイの方に目をやった。そして息を呑んだ。
フェイがなぜか険しい表情で、メーナをじっと凝視している。
えっ、急にどうしたんだ? ついさっきまで、あんなに笑顔でメーナを慕っていたのに。
なんだか嫌な予感が。
「……飛行船はとにかく乗り心地がよくて、まあわたしは神様なので自由に空を飛べるわけですが……」
「女神様。最後にもう一つだけ、質問してもいいですか」
俺の勘を裏付けるかのように、フェイは強引にメーナの長話をぶった斬った。
「それでもたまに乗りたくなる日が……えっ、質問ですか。どうぞどうぞ。遠慮なく何でも尋ねてください」
「じゃあずばり聞きますけど」
フェイはメーナに近寄り、ねっとりとした声で言った。
「あなた、神様じゃないでしょう」