裏1−9 終幕

 話が飛躍しすぎて思考が追いつかない。フェイの言葉は、俺の理解をはるかに超えていた。

「はっきりと確信しました。聖紙には真実が書かれています。これも神様のお導きですね」

 困った、意味不明だ。俺とメーナは顔を見合わせた。

「なぁ、フェイは何を言ってるんだ」

「わたしに聞かれても、わたしもわかってないよ」

「聖紙の証明なんて不可能だ。そもそもあれ、人間が考えた妄想だろ? 俺たちが聖紙に合わせて演技をしたから、本当らしくなってるだけで」

「だよねぇ。フェイさんにちゃんと説明した方がいいよね」

「リュミンが『聖紙は間違いだらけ』って言えば、即解決なんだけどな」

 肝心のリュミンは他人事のように俺たちを傍観している。

「リュミンちゃん、大事な時に限って仕事しないんだよなぁ……こうなったら、わたしとアルミスで、フェイさんに真実を伝えるしかないよ」

「ああ、目を覚ましてもらおう。聖紙は偽物だって認めてもらおう」

 早速、説得に取りかかる。

「フェイ、聞いてくれ。実は、聖紙を作ったのは神様じゃなくて人間なんだ。あの紙に書かれているのは、ただの作り話だ」

「そうなんです! 騙そうとしたことは謝るんで、わたしたちの話を聞いてください」

「これが最後の試練ですね」

「「へっ?」」

 俺たちの呼びかけなど意にも介さず、フェイは瞑想するように瞼を閉じた。

「従者のお二人にも感謝します。わたしはこれまで聖紙の記述を無批判に受け入れていました。聖紙が嘘である可能性を疑ったことは一度もありませんでした。しかし、それは真の信仰とは言えません。ただの盲信です。聖紙の正しさを証明し、疑念を取り除く——それが神に仕える者の使命ではないでしょうか。
 立証の機会を与えられたわたしは幸運です。信仰心を確かめる試練を経て、わたしはやっと真理に辿り着くことができました。『聖紙はすべて正しい』という真理に。わたしの人生は、この時のためにあったんですね」

 自分の世界に入り込み、揺るぎない信仰を語るフェイの姿は厳かで、全身から神聖さを漂わせていた。

 まるで本物の聖女のように。

「それでは聖紙の証明を始めます。最初に検討するのは『混沌の中にいるあなたの前に、二人の従者をたずさえた神が現れ、救いの手を差しのべます。世界が闇に包まれる前に、あなたは神を見いだすでしょう』という箇所です。
 ここに書かれていることをわたしは実際に体験しました。転生したばかりで混乱しているわたしの前に、アルミスさんとメーナさんを引き連れたリュミンさんが現れ、わたしに神様の正体につながる手がかりを与えてくれました。そしてわたしは夜になる前にリュミンさんが神様だと気づきました。よって、この記述は真実です」

「その論理、破綻してません?」

 メーナが疑問を投げかける。

「さっきフェイさんは神様の正体を推理する時、聖紙の記述が正しいと仮定してましたよね? そのうえで、聖紙に書かれた神様の特徴をもとに、リュミンちゃんが神様だと突き止めたわけです。
 と思ったら今度は、リュミンちゃんが神様だっていうことを根拠に、聖紙の記述は正しいと主張しています。仮定した前提がそのまま結論になってますよ。これって循環論法ですよね!」

 メーナの言うとおりだ。循環論法を認めたら、どんな文でも仮定するだけで真実になってしまう。フェイの主張は論理的に正しくない。

 案外、あっけなく論破できたな。

 ……なのに、フェイが微塵も動揺していないのは何故だ。

「言われてみれば、破綻してますね。じゃあ、仮定をなかったことにします」

「仮定をなくす? 聖紙が正しいっていう前提を消したら、リュミンちゃんが神様だっていう推理もなかったことになりますけど」

「でも、リュミンさんは神様なんですよね?」

「んん? まあ、それはそうですけど……」

「だったらいいじゃないですか。リュミンさんが神様なのは事実なんですから」

 あまりの暴論に、俺もメーナも空いた口が塞がらない。

 数学や論理学の証明と違って、現実では論理以外の方法で事実を確定することができる。フェイは『聖紙が正しい』と仮定したうえで推理を進め、リュミンが神様だと俺たちに認めさせてから用済みになった仮定を消し去り、リュミンが神様だという事実を盾にして、循環論法を正当化するつもりだ。

 推理の前提をすり替える反則スレスレの手口。屁理屈だとわかっていても、俺たちはフェイに反論できない。

 リュミンが本物の神様だから。

「これで破綻はなくなりましたね。もういいですか」

「待て、まだおかしな点が残ってる!」

 俺も反証に加わる。

「聖紙に書かれた『救いの手』、つまり指の手かがりは、リュミンが神様であることを示す決定的な証拠だ。けど、そんな手がかりがなくても、フェイは神様を特定できたはずだ。俺とメーナが矛盾した発言をしたのは、カウントダウンの前。その時点で俺とメーナは人間だと確定するから、消去法でリュミンが神様になる。救いの手のおかげで神様を見いだす、という聖紙のストーリーは成立しない!」

「たしかに消去法でも特定できましたね。ですが、わたしはその時その論理を思いつきませんでした。指の手がかりのおかげで神様の正体がわかったあと、アルミスさんの発言の矛盾にふと気づいたんです。これが現実に起きたことなので、聖紙のストーリーは成立しています」

 フェイの論理的思考力は不完全。ゆえに、フェイが語る論理は正しい。

 なんだこのパラドックスは。

「次にいきます。『神の教えを広めた賢い者は、死後すぐに神の世界へと導かれます。神の教えを広めない愚か者は神の世界に入れません』について。前半は、わたしが実際に経験したことです。証明するまでもありません」

「いやいや、フェイが転生したのは死んでから三日以上経ってからだろ? 『死後すぐに神の世界へと導かれます』って、明らかにおかしい……」

 途中で、俺は言葉を切った。おかしいとは限らないことに思い至ったからだ。

 フェイは自分の魂が数日間保管されていた事実を知らない。湖に落とされて死に、目覚めると異世界にいた——それだけだ。フェイにしてみれば、死後すぐに神の世界に来たとしか思えないだろう。

 メーナの言葉を借りるなら、主観的には矛盾してないんだ。

「どうしました? 反論なら聞きますけど」

「…………」

「沈黙は肯定と捉えてよろしいですね。では後半です。愚か者が神の世界に入れないことを証明します」

「それはさすがに無理じゃないですか?」

 再び、メーナと交代。

「フェイさんは『賢い者』だから『愚か者』と同じ体験はできませんし、神の世界に来てないことの証明なんて、やりようがないですよ」

「体験はできなくても、証明は可能です。前世でわたしが死んだ日の数日前に、無神論者が二人処刑されました。もし、愚か者が神の世界に来れるのなら、その二人がセグノラに着いているはずです。
 住宅管理局の局員さんは、転生者が来るのは十日ぶりと言っていました。わたしの処刑日は一人目の無神論者が殺された日の六日後です。つまり、無神論者は神の世界に来ていません。証明完了です」

「偶然に偶然が重なってる〜!」

 フェイの勢いは止まらない。

「証明を続けます。賢い者が神の世界に来れて、愚か者は来れないことがわかったので、『人は二種類に分かれます。神の教えを広める賢い者と、広めない愚か者です。賢い者は常に賢く、愚か者は常に愚かです。賢さと愚かさが混じり合った人はいません』という一節も正しいとわかります」

「混じり合った人がいるかもしれないじゃないですか!」

 余裕を失ってきたメーナが苦しまぎれに叫ぶ。

「賢い者と愚か者の二種類じゃなくて、三種類以上に分かれる可能性が……」

「ないです。聖紙は、神の世界に来れるかどうかで人を分類しています。来れる・来れないの二択以外、選択肢が存在する余地はありません。よって、人間も二種類にしか分かれません」

「なんか論理が逆転してません!? そんな理屈ありですか!?」

 頭がぼんやりとしてきた。証明って何だっけ? こじつけって何だっけ? 論理と非論理の境界があいまいになって溶けていく。

「続いては『神は人と同じ姿をしていますが、人にはできないことを可能にする超自然的な力を持ちます。ただし、神は人に自身の能力を分け与えたりはしません。人が神の力を使うことは絶対にできないのです』というくだりです。
 リュミンさんは人の姿をしていますし、人間にはできない動きができます。そして能力を人に分け与えないことも、すでにわかっています」

「根拠! 根拠をください!」

 メーナはほぼ錯乱状態だ。一方、フェイはあくまで平静だ。

「もし、リュミンさんが普段から人に自身の能力を分け与えているのなら、今回の検証で神様役のメーナさんに神の力を与えているはずです。そうすれば人間だとバレる可能性は減りますから」

「それはリュミンちゃんが縛り演技を要求しただけです! 不合理だから説得力ないけど……」

 難癖でもいいから俺も反論しないと。気力を振り絞って声を張り上げる。

「セグノラでは人は死んでも蘇る! これは人間の力じゃなくて神様の力だ。神様が能力を人に分け与えている証拠だ!」

「神様は死ぬんですか?」

「……何の話? 神は不死だから死なないけど」

「なら神様は蘇りもしませんよね。蘇生は神様の力とは言えません。神様が自身の能力を分け与えたのではなく、人間の能力を増やしただけです。転生についても同様のことが言えます」

 もう俺にはフェイの論理が正しいのかどうか判断もつかない。

「次の『神は矛盾しません』は証明済みです。リュミンさんの発言に矛盾がなかったのは先ほど説明したとおりです。
 また『この紙には神の言葉が書かれています。神は全知の存在です』は自明です。これまで証明した事実——賢い者の運命や神の特性などは、全知でない限り知りようがありません。従って、聖紙に書かれているのは、全知の神様の言葉です」

 無駄だと悟りつつ、メーナと俺は懸命に抗った。

「リュミンちゃんに矛盾がなかったのは日没前だけですよ! 夜になってから変な発言を連発してます。自分の正体がバレた理由がわからなかったみたいで、『私?』『やらかしてるって、何のこと?』『あっ』とか言ってましたよ。全知の神様が、こんな反応するはずないですよね?」

「だからそれも演技ですよ。指の動きが手がかりになると理解していたからこそ、リュミンさんは聖紙に『救いの手を差しのべます』と書けたんです」

「なら、リュミンのお辞儀はどうだ!? 『挨拶のマナーはちゃんと知ってるよ』って言いながら、顔が膝にめりこんでたよな? 挨拶のマナーを、リュミンは知らないんじゃないか!?」

「わたしもそこは引っかかったんですけど、『知っている』のと『実際にやる』のは別物ってことじゃないですか」

 もはや、なんでもありか!

「さあ、これが最後です。末尾の一文『その時、あなたの魂は神の世界に結びつけられるのです』を証明しましょう。リュミンさん!」

 フェイが再び女神の前に立つ。

「わたしが神様を見いだした時、わたしの魂はこの世界に結びつけられた……そうですね!?」
 
 まさか、全知の神様に直接尋ねるとは。証明の成否はリュミンに委ねられた。

 頼むから本当のことを言えよ。嘘をつくなぁ、嘘をつくなよぉ!

 女神が出した答えは——

「うん。その時、永遠の命を授けたよ」

 こうして、詭弁と論理と嘘と真実と無知と知識と偶然と必然が混じり合い、聖紙の正しさが証明されてしまった。

 呆然とする俺とメーナを置き去りにして、フェイは高らかに勝利の声をあげた。

「神様ー!! やはり聖紙には真実が記されていたんですねー!!」

「ううん、聖紙は間違いだらけだよ」

「はい! 聖紙の記述は間違いだらけ…………ええええええええええええええええっ」

 数秒で手のひら返しを喰らったフェイの絶叫が、夜の街に轟く。

「神様……今……なんて……」
 
「聖紙は間違いだらけ、って言ったよ。正しいのは『神は全知の存在です』『人にはできないことを可能にする超自然的な力を持ちます』の二つぐらい。聖紙を作ったのは神様じゃなくて人間だから、真実なんて書いてないよ」

 フェイは虚ろな表情のままその場に崩れ落ち、石畳に両膝をついた。うわごとのような言葉が、途切れ途切れに口からこぼれ落ちる。

「……ずっと……聖紙を……信じてきたのに…………がんばって……布教したのに…………わたしの人生は……無意味だった…………………あれ?」

 何かに気づいた様子で、フェイは顔をあげた。真剣な面持ちでリュミンを見据える。

「聖紙は偽物……でも、神様は実在するんですよね?」

「もちろん。あなたの目の前にいるのが、まぎれもなく本物の神様」

「わたしが転生したこの世界は、誰が管理してるんですか?」

「セグノラの管理者は私。ついでにいうと、創ったのも私ね」

「わたしは永久にセグノラで暮らせるんですよね?」

「できるよ。もう魂も結びつけたし」

「セグノラには限られた人しか来れないんですよね?」

「私好みの世界にしたいからね。セグノラの住民は、全人類の中からじっくり厳選してるよ」

 折り曲げていた足を伸ばして、フェイが勢いよく立ち上がる。陰鬱さは消え失せ、元の溌剌とした雰囲気が戻っていた。

「なら、聖紙が偽物でも全然問題ないですね! わたしは神様がいる世界にきて、神様に会うために生きてきたんですから! 聖紙との違いなんて、誤差みたいなものです! ところで——」

 おそるおそる、フェイが尋ねる。

「神様はどうしてわたしを選んでくれたんですか」

 リュミンは即答した。

「布教に熱心で、信仰心が強そうだったから」

「じゃ、じゃあ、わたしのこれまでの行いは無駄じゃなかったんですね!」

 両目からこぼれた涙が頬を伝って落ちていく。フェイは微笑みながら泣いていた。

「……すべて報われました……これ以上の幸せはありません……」

 感情が溢れかえり声を詰まらせたフェイの背中に、リュミンの両手がそっと回される。

「あなたのことは全部知ってるよ。よくがんばったね」

 ガス灯の光が二人を包みこむ。静寂な夜の冷気の中で、神の抱擁を受けた殉教者のすすり泣く声が、ひそやかに辺りを満たしていた。

 フェイが落ち着くのを待って、リュミンは両腕を離した。それから、さっぱりとした口調で言った。

「もう夜だし、そろそろ解散にしよっか」

「はい! またどこかでお会いしましょう!」

 涙をぬぐい、フェイが歩き始める。確かな足取りで石畳を踏みしめ、数歩進んだ先でいったん立ち止まると、フェイはくるっと振り返って、満面の笑顔を見せた。

「わたし、神様を信じて本当によかったです!」

 フェイは通りの反対側へ跳ねるように駆けていき、そのままアパートの中へと姿を消した。満足そうにリュミンが腕を組む。

「偽りの宗教を信じていても、信仰心は本物。フェイを転生させて正解だったね。本人も喜んでたし、めでたし、めでたし」

「……いい感じでまとめようとしてるけど、わたしのこと忘れてない?」

 大団円を迎えて悦に入っているリュミンを、メーナが白い目で睨んでいた。

「この日のために役作りとか衣装の準備とか色々がんばったのに、報酬ゼロだよ? むしろ、莫大な数の罵倒を喰らって、気分はマイナスだよ?」

「人を騙そうとしたから、バチが当たったんじゃない?」

「主催したのリュミンちゃんだよね!? しかも『信仰心が強いから救ってあげた』みたいな口ぶりだったけど、元々は転生者でちょっと遊ぼうと思っただけだよね? フェイさんが救われたの結果論だよね?」

 じたばたと騒ぐメーナに、リュミンはたった一言。

「すべて計算通り」

「ど、どれだけ嘘を重ねたら気が済むの!? 神様としてのプライドとかないの!?」

「嘘はついてないよ。神様が言ったことは全て真実、嘘だとしても真実」

「倫理観だけじゃなく、論理も人智を超えてる! これは何を言っても無駄なやつ……」

 がくりとうなだれて、メーナは遠目にフェイのアパートを眺めた。

「あーあ、あと少しで神様になれるところだったのに。惜しかったなあ」

「落ちこまないで。成功しても、どうせ神様にはなれなかったわけだし。あの約束、嘘だからね」

「えっ。えーーーーーーーーーーーー」

 高低差も抑揚もないロングトーンが、メーナの体から鳴り響く。

「それすら嘘だったの……わたしの努力はなんだったの……もしかして、アルミスも知ってたの……」

 メーナは神様のいない天を仰ぎ、俺はメーナに追求されませんようにと神様に祈り、リュミンは神様らしく俺たちに教えを説いた。

「今日の出来事は、いい教訓になったね。フェイは神様を信じたおかげで、本物の神様に会うことができた。つまり、神様を信じると幸せになれるということ。だから二人も信仰を深めて、私をもっと崇めようね」

「わたしが得た教訓は……」

 魂の抜けた声で、メーナがつぶやいた。

「神様を信じると、ろくな目に合わない」

第1話『信じよう神様を』 完